2014年11月02日

禁断の社会化学反応 マッドと社会の不協和音 10−5

世界を救うなどと大それたことはとてもじゃないが言えない。
しかしながら、ちょっとでも世の中を良くするにはどうするべきかの
意見というのは自分の中にいくつかあることが分かった。

究極的にはどうすればいいのか。
はっきりいってこれまで列挙してきた意見、実のところ実現可能とは
いえるものばかりではない。
むしろ技術的、社会的、倫理的な面で無理なものを列挙してみたつもりだ。

なぜそのようなことをしたかというと、無理な方法で強引に社会問題に
アプローチすることで、これまでにない方法を自分が、そしてこの
一連の連載を読んだ誰かが、気づいてくれるきっかけになればという
思いからである。

行き詰ってるなら針でつついて穴開ければどうなるだろう、という一種の
思考実験で、自分やほかの誰かの思考に穴をあけれれば幸いである。
なるべく多くの人に触れてほしい部分と、それで自分がちょっとでも幸せに
なればなぁという部分が自分の中で交錯している。

では具体的にどうすればいいのか。
考え続けることだ。
そして考えになるべく制限を設けないことが大事なんじゃないだろうか。
思考を制限した時点で、その先の道はなくなるのだから。

とはいえ人間に与えられた時間はあまりに短い。
一人の人間はどこかで選択をしなければいけない。
しかし、一人の人間でなければどうだろうか。

誰かの思いが、考えが、誰かに伝わる。
そうすることでその思いや考えは引き継がれていく。
未来への可能性は、そこでつながっていくと思う。

だからこそ個人単位では、思考を制限するような障害はなるべく除かれるのが
望ましいと思うのだ。
特定の思考に凝り固まった組織や集団は、いずれ衰退し滅ぶと思う。

人類という集団は衰退し滅ぶのか。
どのような思考であれ制限されず、伝えていけるのであれば、人類が衰退し
滅ぶということはないのではないだろうか。
思考の多様性の維持、それこそが人類の未来に通じる道だと、私は信じる。

posted by とくがわ at 01:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | マッド社会派サイエンティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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