2014年10月07日

禁断の社会化学反応 マッドと社会の不協和音 10−3

日本や世界の問題を解決する方法は、様々な人が提言しているのだが
実現できないのは何が問題なのだろうか。

一番大きいのはコンセンサス…同意が得られていないことだと思う。
そもそも日本や世界ってヤバいのか?というレベルだったりしねぇか?

科学技術の進歩が環境に与える影響の大きさとか、科学者ですら
正確に把握できてないんだから一般人である自分たちにはまるで
わかんねぇと言わざるをえない。…一般人なんだよ!

わからないものには対処の仕様がないわな。
わかってしまえば対処の必要がなかったり放置したりすればいい
ものもあるだろう。

皆がわかるためには調べるのが得意な人が調べつつ、それ以外の
一般人は調べた成果に興味を持つことが重要なのだろう。
それが難しい。

なにせ研究やら調査やらというのは小難しい表現多用されているし
(といっても研究やる人間の間ではふさわしい表現といえるのだが)
ちょっと興味を持ったからといって簡単に理解できるものでもない。

…そこにろくでもない奴がまぎれこむことがある。
本来の意味するところとはまるで別の意味を紛れ込ませて騙そうとする奴、
わからないということを利用して騙そうとする奴ももちろん厄介だ。

ネットが誰でも使えるようになって本当に厄介だと思うのが、一言で
言うなら半可通というところか。
声の大きな馬鹿というのは結構しゃれにならない。

いや、自分も馬鹿だという自覚はあるのだけども。
だがそんなに大声で怒鳴り散らしてることはないと思うので、迷惑は
かけていないと思う。

声の大きな馬鹿のせいで有用な議論がつぶされるなんてことは
よくあるわけで、ネットで議論するに当たっては、議論の内容は
基本的には誰でも見られるけど、特に重要なものに関しては
議論に参加するのは選ばれた人でないといけないのではない
だろうか。
誰が選ぶんだって話もあるんだけれども。

やっぱり100人いて99人が問題だと思う人間は、議論に参加させたら
確実に混乱するのが目に見えてるわけで、集合知には除外も
やっぱり必要なのだろう。
除外といっても状況に応じて対応していけばいいだろうし。
(もっとも言論テロリズムみたいなことやらかす奴は論外だけど)

そういうわけわからん奴(自分含む?)がこれだけのさばっているのは
「口じゃどうとでもいえる」
というソクラテス以来の人間の業が原因なのではないだろうか。

しかも誰でも簡単に言えるようになった。
いったことができるのか、いったことに責任持てるのか、いったことが
やれるかどうか試したのか?

「じゃあおまえやってみろよ」というのは場合によっては必要だと思う。
やってみて後悔するのはたぶんやった奴だと思うけど。

…そういうことできる場所も金もない?
だったらどうやったら作れるか考えてみてはどうだろう。

次回、究極の特区構想について。

posted by とくがわ at 01:27 | Comment(0) | TrackBack(0) | マッド社会派サイエンティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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