2014年10月06日

禁断の社会化学反応 マッドと社会の不協和音 10−2

ここまで極端でなくても、現状打破のためには多少の負担は必要じゃないか
という考え方はあると思う。
どのようにその負担を行っていくか。それが問題だ。

・税収を上げて対策を国家推進で行う
・生活に制限をかけて問題を軽減する
・科学技術を進歩させて負担を軽減する

このあたりが方法論として挙げられるだろうか。

国家主体でどうのこうのというのは正直限界があると思う。
どこの国も財政赤字でアップアップ言っているのに。

かといって生活に制限をかけるというのもちと苦しいだろう。
徐々にやっていけばいいだろうけど、それでも生活が悪化する
というのはあんまり好ましいものではない。

とするとあとは科学技術の進歩…ということになるが、それにしたって
国家が投入できるものは以前より格段に減っている。
それにどのような対策を行うか、ということの決め打ちを行ったら
反発も大きなものになるだろう。

例えばどこかに住んでる人が、何かの対策のために移住させられる、
そういう状況になったらいい気はしないだろう。

対策の方針だって気に入らない人はいくらでもいるだろう。
さて、そうなってくるとどう折り合いをつけるかが問題である。

…どういう対策を打とうが納得しないなんて人もいるだろうけど、
もうそういう人はとりあえず放置しておいて、ある程度納得できる
対策を共有するために何ができるのか…

21世紀に入る直前あたりから、インターネットによる情報共有が
飛躍的に進歩しているのだ。
何を言っても納得しないという人はとりあえず置いておいて、何かしら
できることの共有を進めることが大事なのではないか。

個人によってできることに差はあるが、知らない限りは0である。
問題がいろいろあるのはわかっている、対策がこういうことがあるのが
わかっている、そこまで来て初めて自分に何ができるのかを把握できる
のではないか。

ちょっとずつみんなで負担する。
それはお金だったり労力だったり頭脳だったりするけれど、問題を
解決するためにどのように振り分けるか、個々人で決めていって
進めるボトムアップも徐々に可能になるのではないか。

方向性はトップダウンで政府や研究機関などが決めて、そこに投じる
リソースは個人の裁量で進める…ユビキタスの組織版というところか。

新しい技術というのももちろん必要だが、新しい組織にも人間が
適合しないと地球が持たんのかもしれない。
…適合できなかったらどうしたらいいのだろうとは思う。





posted by とくがわ at 15:10 | Comment(0) | TrackBack(0) | マッド社会派サイエンティスト | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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